今年は、年が明けると猛然とやらなければならない仕事がなくなったお陰で、母に関わる時間が作れた。
冬の初めから気になっていた歯の予約を入れ、今後の対応について主治医の先生に話を聞きに行った。
年末に行き、年明け早々相談するなんて考えられないことだ。

母は、相変わらず血圧が高い。年末にもらった薬も粉薬は食前、錠剤は食後。
サイズも包装状態も違う。数日経って見てみたら、食前の粉薬は飲んでいたが、錠剤は別の場所において、ほとんど飲んでなかった。

「いいから一緒に食前でも食後でも飲んでよ」と言うと、「これは食前と書いてあるでしょう」といいかえす。
以前はそう思わなかったが、父が認知症でおかしくなってから、少しずつ頑固が進化してきている。

そもそもすこぶる健康で、病院にも薬にも頼ることなく年を重ねてきたので、薬を飲む習慣がない。

習慣がないということは、新しいことを覚えることが苦手な人にとって、大変なことはない。

電話で「薬飲んでよ」と言っても、「はい、わかりました」とはいうものの遂行されない。

実家に行き薬を確認しては「なんで飲まないの」といったところで、全てを気づけてないのだ。

よく「肯定してあげて話してね」と言われても、それができない。

やめなければと思っても、つい強い口調で叱ってしまう。自宅に戻る車の中では、毎回自己嫌悪だ。

行かないのがお互いにとって一番いい環境なのだと思いつつも、そうはいかない。

妻と話をする。

「なにが最良なのだろう?」

適切な診療を受けて、言われた通り薬を飲み続ける。

薬を飲むことができないなら、介護保険でヘルパーさんに見てもらうことにして投薬を進める。

先生が見立てた薬を飲んでもらえば、安心だ。それは誰が?母か、いや、僕らか。

「なにが(僕らじゃなくて)、母に最良なのだろう?」

結論は、そんなに簡単に出るもんじゃあない。

仕事の帰り道、緩やかな広瀬川を見ながら、自問する。

ふと、こんなフレーズが浮かんだ。


やはり野におけ れんげ草

あぁ、これ、さだまさしの歌だ。なんだっけ。すっげ、古い曲。タイトルなんだっけ。


家に帰り、macのiTunesを開く。

そうだ、さだまさしのファーストアルバムの「帰去来」の中にある指定券の2番の歌詞だ。


やはり野におけ れんげ草 とある。そして、その前のフレーズが、


長いエスカレーター昇って降りて

やっとの思いで 出したこたえ


はじめる前から 終わる旅もある

やはり野におけ れんげ草      だった。

高校時代さりげなく何度も何度も聞いていた曲だが、いろんなことが去来してきた。
もうすぐ高齢者の4人に2人は認知症の時代が来るそうだ。
それは、誰かと結婚すると自分両親と義理の両親がいることになる。
自分より高齢の身近な人が4人いることになり、そのうち2人が認知症になりうるという推計が出ている。
同居しているわけではないので、現在同居されて介護されている方の苦労にはまるで及ばないが、
僕なりに気づいたことを残していこうと思う。