あれは何年前だろう?ボキャ天(ボキャブラリー天国)なる番組が放送されていたのは・・・。 使い方は、んんんん、まあいいとして。だって以前に学校の先生と話をしてて、 僕 「ごいりょくですよ、ごいりょく」 先生「語意には力はつきませんよ」 僕 「いや、語彙力ですよ。これを高めないと会話に花が咲きにくい」 先生「たしかに意味を理解して話すのと理解しないのでは・・・」 こんな調子ぱずれな会話がなぜか成立して、僕的にはショックだったが、彼的にはOKだった。これでは世界が広がらない。今のマス埋め教育では、豊かなボキャブラリーの会話は生まれないと嘆いていた。 そのざまが、KYだのDQNだの単なる短縮語のオンパレード。創造はしているだろうけど、創造というよりは騒々と言ったほうがはるかに近い。 最近テレビを見ていると、芸人と呼ばれるジャンルの人やタレントだのモデルと呼ばれる人等がTVを占拠し、時間潰しをしている。 その中で毎度おなじみのフレーズが、「なに、これ!」と「やばい」だ。 TVという公共な電波の中で、「なに、これ?」の連発は悲しいを通り越して哀愁さえただよう。 「なに、これ?」は、見た瞬間条件反射的に出る、すごく下品な言葉に聞こえてならない。まるで、自分の脳のデータベースに一切アクセスさせずに、見た瞬間、目と口だけで 行っている動作にも見えるのだ。 脳にアクセスさせずに・・・ということは、これまで得た経験やら教養やらの使用を拒否しているのだから、その人の深みなんてものが、あり得ない。 無意識に出る言葉なのかもしれないが、この無意識さが下品にしか聞こえないのだ。 「やばい」は、僕らだって使っていたけど、あくまでやばい状況で、否定的な意味合いでしか使わなかったのに、今やなんでもありだもの。 美しい日本語とまでいかなくても、美しくありたいと意識しなければ。 そう思っていたら、今朝のはなまるマーケットに出演していた、まえだまえだのふたり。この子らプロだね。しゃべりがしっかりしているし、言うべきことちゃんと言ってる。さらに出てくるモノに対し、「なに、これ?」なんて一言も言わないもの。ちゃんとこういう風にお話出来る子いるんだね。って、見ていたらレポーター?(彼はアナウンサーなのだろうか?)が、「なに、これ?」だもんね。暑くてダレル日だけど、正しく言葉を使わなければという意識を常に持たねば。