この秋というか、この冬11月~12月にかけて杜の都の演劇祭2009(杜劇祭)が開催される。昨年に引き続き、事務局の作業を行うことになった。2つの演目を製作を担当することになり、1つがかれこれほぼ30年来のおつきあいとなる劇団I.Q主宰の丹野久美子さんの演目だ。それで作品タイトルが「イサムよりよろしく」。 ・・・、なんか聞いたことあるな、いやずっと昔読んだよな。どんな話だっけ? 「井上ひさしのさぁ、浅草のストリップ小屋を舞台にさあ、踊り子にちょっと遅れた男が恋をする切ない話だよ。」と教えられた。 なんか、記憶の粒子みたいのを感じられたんだけど、そのもやもやにもならない不思議な感覚にとらわれた。 数日後、丹野さんと会った。 「私さ~、あんまり字小さいと最近読めないからさぁ」と、文庫本がA3の巨大なコピーと化して、やってきた。あんたも読みなさいよと同じサイズのコピーをくれた。その時、コピー元の文庫本がちらりと見えた。 あ、この本やっぱり見たことがある。 ちょっと鼓動が早くなったのを感じたが、記憶の粒子が繋がりあうような化学変化はおこらなかった。 でも、なにかが隠れているようなそんな思いがしてきた。 数日後、本(コピー)を読んだ。 イサム青年と彼を囲む浅草の人々の話が描かれていた。読み終えるときには涙が流れていた。 僕はこれを過去に2回読んだ。 いや、読まされた。 大学3年の時、名画座で「蒲田行進曲」を見た。松坂慶子演じる臨月を迎えた小夏ちゃんが雪の中、 ヤスをおもんばかって、「ヤスー!」と叫ぶシーンがあった。それまであんなに美しかった小夏ちゃんが足を投げ出して 歩いていた。終わった後一緒に行ったピッカリ座の仲間たちに「あの歩き方はないだろう!」と言ったら、臨月でお腹が大きいんだから足とじれないでしょう。ストーリーだけじゃなく、演技も見てよ!と叱られた。 その後、取り繕うとじゃあもっと勉強するよとか言ったのだろうか、そこのところの記憶が曖昧だが ほどなくして「これ、読んで」と手渡されたのが、 「イサムよりよろしく」だった。 切ない作品だと思いつつも泣くという感情も抱かない。 なんか、”ふ~ん”で終わったと思う。

その後、僕は「イサムよりよろしく」にまた出会うことになる。

高校の終わりから始めたテニスにどっぷり傾倒していた僕は、そこで美しいお姉様方と出会い、

喜んでアッシー君を買ってで、(もっともこの頃そんな哀れな言葉はなかったが)休日となると朝早く自宅までお迎えに行き、

夕方までテニスを楽しみ、みんなで夕食をして家まで送り届けるという生活に楽しみを見出していた。

みんな彼氏がいるけど、弟分のように可愛がってくれるので、ただただうれしかった。

ある日、とうとうその日がやってきた。

ユカリンが結婚することになったのだ。いつも僕のことを気にかけてくれる優しいひとだった。

ニューカレで二人きりで結婚式をあげるからと、友達を集めたパーティーをやることになった。

4つ上のお姉さんたちは、あんなに大事にしてもらったんだし、大好きなお姉さんだからガンバンなさいよと

そのパーティーの司会者として指名した。ユカリンももちろん、OKということで話がトントンと決まった。

入念な打合せを何度も行い、(その時さえも至福の時間と思いつつ)いよいよパーティーが始まった。

きれいなドレスのユカリンの横でまぶしいライトに照らし出され式が始まった。

「本日は・・・」と僕の第一声がはじまるはずが、

「・・・・・・・・・」声が出ない。

極度のあがり症であったが、そうでなくて、声が出ない。しゃべろうとしても発音できない。

「落ち着け」「水を飲め」様々な声が聞こえてくるが、わからない、声が出ない。

ユカリンの友人で一緒に司会をしてくれた人が取り繕って式が始まったが、結局しゃべれないまま式を終えた。

数日後、ユカリンが大変心配していたと言うこと聞いた。先輩ばっかり、彼の友人など知らない人いっぱいの中できついこと頼んじゃったかしらと謝っていたよなどと聞かされると、失敗したのは僕なのになぁと一層凹んだ。

それからまたまた数日後、いつもの喫茶店に暗い顔しているとユカリンのお友達が来て(ここがテニスの仲間の集合場所みたいなものなので、仕事帰り誰かしら集まってくる)、「あんたさぁ~男の子なんだからいつまでもグジグしないで、元気になんないとユカも「私のせいだ」っていつまでも思っているよ。叱咤のような激励をされた。そして、文学部出らしく、あんたみたいな気分の時は読んでごらん。と紹介されたのが”イサムよりよろしく”だった。

あらためて読んだ。イサムはお兄さん分になって「イサムよりよろしく」と言ったけど、僕は弟分として「ミズよりよろしく」と言ってふっきりなさいと言われたんだとその時わかった。

そうして、僕は人前に出る仕事は今後一切しない。裏方の仕事をしようと心に決め、いつの間にか封印していたのだろう。

ずっともや~ともしない、記憶の粒子みたいだったものが、らせんを描きながら繋がって像を結んだ。

いまや顔出してケーブルテレビで毎週映画紹介しているが、あの当時は思いもしなかっただろうし、あの頃なら断っていたのだろう。いつの間にか封印された記憶の上にあれこれいろんなものが重なって、すっかり忘れ去られてしまっていた。

この仕事が楽しく思える今、20数年間閉じられていた僕的パンドラの匣は、一体どんなサインなのだろうか。