その後、僕は「イサムよりよろしく」にまた出会うことになる。
高校の終わりから始めたテニスにどっぷり傾倒していた僕は、そこで美しいお姉様方と出会い、
喜んでアッシー君を買ってで、(もっともこの頃そんな哀れな言葉はなかったが)休日となると朝早く自宅までお迎えに行き、
夕方までテニスを楽しみ、みんなで夕食をして家まで送り届けるという生活に楽しみを見出していた。
みんな彼氏がいるけど、弟分のように可愛がってくれるので、ただただうれしかった。
ある日、とうとうその日がやってきた。
ユカリンが結婚することになったのだ。いつも僕のことを気にかけてくれる優しいひとだった。
ニューカレで二人きりで結婚式をあげるからと、友達を集めたパーティーをやることになった。
4つ上のお姉さんたちは、あんなに大事にしてもらったんだし、大好きなお姉さんだからガンバンなさいよと
そのパーティーの司会者として指名した。ユカリンももちろん、OKということで話がトントンと決まった。
入念な打合せを何度も行い、(その時さえも至福の時間と思いつつ)いよいよパーティーが始まった。
きれいなドレスのユカリンの横でまぶしいライトに照らし出され式が始まった。
「本日は・・・」と僕の第一声がはじまるはずが、
「・・・・・・・・・」声が出ない。
極度のあがり症であったが、そうでなくて、声が出ない。しゃべろうとしても発音できない。
「落ち着け」「水を飲め」様々な声が聞こえてくるが、わからない、声が出ない。
ユカリンの友人で一緒に司会をしてくれた人が取り繕って式が始まったが、結局しゃべれないまま式を終えた。
数日後、ユカリンが大変心配していたと言うこと聞いた。先輩ばっかり、彼の友人など知らない人いっぱいの中できついこと頼んじゃったかしらと謝っていたよなどと聞かされると、失敗したのは僕なのになぁと一層凹んだ。
それからまたまた数日後、いつもの喫茶店に暗い顔しているとユカリンのお友達が来て(ここがテニスの仲間の集合場所みたいなものなので、仕事帰り誰かしら集まってくる)、「あんたさぁ~男の子なんだからいつまでもグジグしないで、元気になんないとユカも「私のせいだ」っていつまでも思っているよ。叱咤のような激励をされた。そして、文学部出らしく、あんたみたいな気分の時は読んでごらん。と紹介されたのが”イサムよりよろしく”だった。
あらためて読んだ。イサムはお兄さん分になって「イサムよりよろしく」と言ったけど、僕は弟分として「ミズよりよろしく」と言ってふっきりなさいと言われたんだとその時わかった。
そうして、僕は人前に出る仕事は今後一切しない。裏方の仕事をしようと心に決め、いつの間にか封印していたのだろう。
ずっともや~ともしない、記憶の粒子みたいだったものが、らせんを描きながら繋がって像を結んだ。
いまや顔出してケーブルテレビで毎週映画紹介しているが、あの当時は思いもしなかっただろうし、あの頃なら断っていたのだろう。いつの間にか封印された記憶の上にあれこれいろんなものが重なって、すっかり忘れ去られてしまっていた。
この仕事が楽しく思える今、20数年間閉じられていた僕的パンドラの匣は、一体どんなサインなのだろうか。