鈴木光司の作品は、毎度毎度緻密な設定で、本を読むたび感心させられる。よくまぁ、科学的な事と人為的な事・・・・つまり数値で表せそうな事とまるで感覚的・観念的な事を、矛盾ないよう書き上げるものだと思うのである。しかし、これが映画になると笑ってしまう。なぜカドカワは、せっかくのホラーをギャグの変えねばならないのか、理解に苦しむのである。  原作では、あの赤いバッグが大層恐い。キティちゃんが描かれているのだ。キティちゃんバックが、捨てても捨てても目の前に現れるってのは、それだけで恐いのである。なのに、死んだ子供のミッちゃんを具体的に見せちゃうから陳腐な出来になっちゃうんだよなぁ。黒木瞳のギャラと同額位サンリオに支払って、キティちゃんバックにこだわって欲しかった。  黒木瞳は、相変わらず美しいね。だけど、動きが変だ。子供を探してあちこち走り廻って、部屋に戻ってきたら風呂場からゴゥーと音がしてたら、すかさず走っていくよね、普通。なのに少しづつ進んで行くという演出は、まるで変。演技じゃなくて、演出がなってないよなぁー。  都会の朽ちかけたマンションの屋上にある貯水槽が、少女の棺桶になっているという事だけで表現してくれればいいものを、離婚問題とか責任転嫁の保育園とか無意味な挟殺物を詰め込んでしまったのが痛い。話が右に左に引っぱられ、最後はドッパァーン!で、ハイおしまいじゃ、困るのよ。いつまでもデパートの催し物階に夏限定で作ったお化け屋敷的な映画は、作るなっちゅうの。今どき、そんなもの絶滅しちゃってないだろうに。(20年前は全盛だったのに!)  お化けのミッちゃんは、お母さんを欲しかったのか? じゃあ、なぜ首を絞めたのか?など、訳がわからない。原作にない10年後になって、廃墟のようなマンション?に可愛くない娘が訪れて、お母さんと対面。お化けになった母親が現れて、顔の色つやよしできれいな衣服。お化けのみっちゃんと幸せに暮らしましたとさでは、おとぎ話になるではないか。そうか、子供の親権問題で勝てないと思った彼女は、誰も親権を主張しないみっちゃんにしようっと乗り換えたということなのね。血を分けた子より気楽な選択肢を選んだ、正しい判断さえ出来ない哀れな母親の話だったのねってか。  カドカワは本の売上を上げるために映画を作っているのではなかったのか?その制作者側が陳腐では、売れる本も売れないではないか。今作ほど、ブレア・ウィッチ・プロジェクト風に観念的ホラーに仕上げるべきだったと思う。水道水から髪の毛があんなにまとまって出てこなくても、イメージ出来た時に恐い。そう作って欲しかったなぁ。「トイレの花子さん」的お子ちゃまホラーは、お子ちゃまホラーとして作ったって構わないけど、それとは別の大人のホラーを作って欲しい。そのための鈴木光司だと思うから。  余談だが、井戸を高速で登る貞子といい、こんなに好き放題やられても怒らない鈴木光司はどんな人なのだろうか?いい人なのか、変わった人なのか、むしろ、映画よりそのことを考えた方が恐かったりして・・・・。

4.0