前回の「イングリッシュ・ペイシェント」より更に平均年齢の高い劇場に来てしまいました。 時間ギリギリに入ったら、平日13:40というのに、私は前から3列目に座らなければならないほど混み合っていました。 「イングリッシュ・ペイシェント」の悪夢再び!と、その時点で心を決めました。 ところが、ありゃ、あのおぞましい話し声のツイスターが、ない。 声は聞こえるが、騒音じゃない。環境基準を大きく越えた下品dbじゃない。どーしたの。 映画が始まった。えっ、今日は第2話目と思えるほど、ぶっきらぼうな冒頭に意表をつかれつつ、どう展開するのか期待が膨らんだ。なんせ、あんなに話題作と騒がれたのだから。 ところが、すぐSEXに走るだけで、そこにいく課程が、ない。まるで、TVドラマの常盤貴子演じる平凡でまじめないい子の振りした顔にやりたいと書いてあるOLのような、「エッチな」というよりは、助平な二人の話で、なんかどうでもよくなってきた。 渡辺淳一は、純文学作家というより大衆エロ作家というのは周知の事実だが、森田芳光がメガホンをとると思い、期待したのが馬鹿だった。森田は、ただの助平か、それとも渡辺を馬鹿にしていたのか、アダルトビデオのようなイライラするハンディカメラの横ぶれ。無意味なモノクロ画面のインサート。多様されるオフ・フォーカスからタイト・フォーカスへの転換。この時間が、まどろっこしい。そして、なにかを象徴するかのような音。でもなにも、ない。なんの意味があるのだろう。あぁ、イライラする。 なんで、SEXシーンは、あんなにカメラが寄るの。画面いっぱいのくちびる。それが、何。あんなに寄ったら、汚いでしょう!いったい、何がしたいの。 凛子の親父が死んだ夜、携帯が鳴るシーン。あんたは、下半身に理性はないのか。人、死んだんだぞ、それも親父が! 会いたい、会いたいって、なに考えてるの。 ゴルフ旅行のシーン、二人の車は進み、カメラはバックしていく。不安を表すカメラワーク、なのに車中では「もう一泊しようか」「うん」って、あーた。一体、どーしたいの。 観客は、ホテルのSEXシーン静かなのに、このヒソヒソ話は何。 「今が、一番幸せ」って、瞳さん。いくら台本通りの台詞でも簡単に言わないで。 「イングリッシュ・ペイシェント」では、ビンタしたあと、風呂の中で「君の幸せな時は?」に「今よ」と、きて、「君の不幸な時は?」に「それも、今よ」、だぜ。 そのくらい、言えよ。 どちらもエリート、文化人と思えないSEXだけの、ほかに会話のない短絡的な生活。「カリギュラ」を彷彿させるストーリー、あまりにも哀れな当日券購入で入場した私。 本編で、結合したままの死の話したでしょう。なんで、活字で死因をださなきゃなんないの。 そんなに普段映画を見ない人に媚びを売りたいの。 これじゃ、四回連続でビデオ観たあとしっかりオチが解ったのに、劇場で釣りバカ日誌4を観るよりツライ。 呆れたのは、劇場が、明るくなったら、眼前の人々が熟年カップルだらけだったこと。そして、女は(あえて、女性と言えない)みんな一同に涙を浮かべていた。 結論:これは、熟年夫婦?カップルにとって、堂々と見れるアダルト・ビデオである。    証明1:SEXシーンは、だれも喋っちゃいない。    証明2:それ以外のシーンは、喋っている。    証明3:  〃       何かを食べている。  ∴ゆえに、この結論は正しい。 そして、「イングリッシュ・ペイシェント」は、洋画だから何喋っているのか解らないから、ストーリー進行中みんなずっと喋っていたのね。ジャンジャン。 あの人達は今夜、「こんな事、やってたな〜ぁ」とか言いながら、パンティの横っちょからペロペロなんていう時を過ごすのだろうなと思うと、これもまた、おぞましい。ゾワゾワ。 松竹が撮ると役所コウジの表情も画面全体も明るく、東宝が撮ると画面がザラザラ粗いのはなぜか? わたしは、この映画に呆れて敬意を評し、「邦画のインディペンデンス・ディ」の称号を与えます。 日本のエド・ウッド、奥山和由制作のよりひどい映画を初めて見たという、エポック・メーキングな出来事です。 今回の採点は、うなぎのグランプリおめでとうのご祝儀を入れて、0.5点。TJの200円割引券が、闇の中に見える一すじの光明です。 私は、これから見に行く人に言う。 「間違ったふりして、隣で名探偵コナンを見なさい。その方が、“失”楽園しませんよ!」、と。

4.0