平日の12時30分から観たが、これは、大失敗。廻りは、どう見ても映画というよりは、ワイドショー、昼メロ好きのオバハンだらけで、次回作の予告が話し声の共鳴の中で、異様なボリュームで聞こえてくる。話し声のツイスターに飲み込まれた状態で、映画が始まった。 不思議な音楽とともにビニールのガサゴソ音が一層高まりを見せた頃、どうやら、象形文字の人間を逆さに書いているのだなと、思っていたら、前のオバハンが、「ありゃ、カマキリかね?」と、隣に聞いた。やめてくれ。なんで、そうなるの!と、心で叫びながらも曲に合わせ、風紋の砂丘、飛行機の影と...打ち落とされるまでの浮遊感と突然の機関銃による現実感、導入部は完璧だ。 帰りにプログラムを買ったら、村上龍が感想を述べてて、僕のそれとあまりにもにていたので、以下は、それをはずして、別の角度からコメントします。 「英国人の患者」・・・タイトルだけみると、カラーパープル以来、久々の話題作はずしのオスカーかと、思っていたら、さにあらず。 人の振り見て、我が振り直せ的な、典型“癒し”の映画です。そして、サスペンスな事件に頼らず進む、大人の純愛を題材にしたそれであり、これが解ると西洋インテリ大人の仲間入り、みたいな感があるのではないかと思われます。 男が、愛の思い出ではなく、出来事をたどり、とぎれた記憶を紡いだ時、迷える愛の浮遊霊は成仏するといったストーリーに彼と親友を亡くした女性が癒されていく。そんでもって、新しい恋が芽生える、それが愛の教科書「カーマ・ストーラ」だったりすると、癒しすぎの感は否めない。・・・まぁ、いいや。 この展開は、『マディソン郡の橋』の韻を踏んでいるといえるでしょう。 すさんだ家庭生活を送る子供達が、死んだ母の手紙を見て、自分の求めていた愛と家族への愛の中で苦悩した事実。揺れ動きながらも家族をとった母の優しさ、家族愛にふれて、もう一度やり直そうと元気になるあたり、作りが一緒です。 離婚率がGNP以上の急成長しているとき、不倫とは呼ばれたくない人々がこういうお話を望むのでしょうか。それとも、離婚したくない人やできない人が、秩序や理性という名の下に「自分の中の野生」を無理に閉じこめているから、欲しているのでしょうか。 さんざん食べたりしゃべったりしていたオバハンが、涙にむせっています。きっとトドのゴスペルソングは、こんなんでしょうか。なんとおぞましい状況でしょう。 ベルトリッチの作品を思わせる美しい「黄土色なイエロー」と奥行きのあるパノラマ“な”画面。黄色い飛行機は、空や砂面、影とのコントラストをかもし出し、この恋愛ストーリーのはじまりと終わりを象徴していた。 キャ“ッ”サリンは、高慢知己で好きなタイプではなかったが、映画場でアルマシーが遅れてきて、会話を始めた時の振り向きざまの顔が美しく(とくに瞳が)その後はあっさり感情移入してしまった。 カイロの市場でターバンを巻いて歩いているアルマシーは、思わず“インディアナ・ジョーンズ”?! しかし、眉の線から斜め下にきれこんで瞳がついているので、陽では無く、陰の顔立ちなのだなと思った。いつもハリソン・フォードのようにまぶしそうな顔してりゃ、ナイスガイ。でも彼は、瞳が動くのが見える顔立ちなので、落ちつかない、動揺がすぐ解る小心者の役どころの作品が多いのではないか。まぁ。マコンはさておき、シンドラーもクイズショウもみんなそういう役どころだった。これからも、きっと彼はヒーローにはなれないのかな。 ストーリーに結構、無理はあったものの、大変よい出来でした。ハナも後半どんどんきれいになっていくし。ただ、ラストの車から見える風景で急に早送り映像になる意味は、監督の気持ちも解らなくでもないが、すんなり終わったほうが良かったな。 全体に紅ばなオイルであげた天ぷらのようなあっさりした味わいで、2時間42分のわりに重くないのは作りが素晴らしいからなのか?それとも人物一人ひとりの描き方が甘いのか。オスカーに助演女優しか届かなかったのは、ハリウッドの人々にしてはめずらしい良識だったのか。 今回、私の採点は、最高点の4.5です。 えっ、エビータの方が高いって。エビータより映像も構成も脚本もよかったですよ。でも評価の基準の「僕の心の振幅」では、エビータのそれでは無いのですよ。あしからず。

4.0