ちょっと(オツムが)遅れた様な風体で、雨の中レストランにやってきた男。彼が、主役のヘルフゴッド。感情が先に来るのか、早口で、舌が絡み、どもる。そして、せわしなく吸われ続けるタバコ。勢いよく吸われる物だから、すぐにタバコは小さくなる。大きな手とその中で小さくなるタバコ。彼の人生の中で、いつも自由に扱えるのはこのタバコだけなのか ストーリーについては、なにも紹介されてないが、彼のキャラクターに非常に興味を惹かれる、そんな僕らの心の二面性を言い表したような彼に興味を持ったシルヴィアと気味悪いなぁと思ったオーナー。 そして、彼の幼年期へと。 彼は、オーストラリアの貧乏長屋の星 一徹、飛雄馬親子だったのだ。畳のない家作りなので“あのちゃぶ台ひっくり返し”の大技こそみることは無かったが、深夜男二人でラフマニノフについて語るシーンは、飛雄馬の肩を抱き一徹が言った「あれが、巨人の星だ」を彷彿させる。息子が神童ともてはやされ、スカウトの話が来ると激情してしまう、息子を独占していたい嫉妬にかられるサド男。だから、あんなにも非常な優しそうで冷めた眼になれるのね、と、あれだけで助演男優賞をあげたくなる怪演でした。まるで、“The Rock”の刑務所長のようだわ。まぁ、そう言うわけで彼は、父に怒られないように、喜ばせる事に集中しながら生きるという哀れな十字架を背負わされることになる。 行った来たがあり留学し、コンテストで絶賛を浴びる。しかし、父のリクエストを弾き終えたとき、その呪縛から解放されるはずだったが体がもたなかった。神経をぼろぼろにすり減らし、あえなく精神病院で療養となる。 神童からスターダムの話は、ここでジ・エンド。しかし、この映画は、ここから始まる。ここまでは、長いプロローグなのである。 必死こいて、自由を勝ち取り、「やったぁー、俺は自由だ!」っていうストーリーじゃないので、特に目に見える敵はいない。如何に精神病院に入ってしまうほどすさんでしまった人間性を取り戻せるか、なのである。 歩く速度まで父に決められていたような、生真面目なロボット幼年期、ピアノ以外に心許せるものはなく、恋というか心の支えはおばさまからの優しい言葉だけ。正しい思春期を過ごす事なく成人してしまう。 冒頭のレストランのシーンに進み、彼は自由に演奏して喝采の拍手を浴びる。人に聞かせることが、こんなに楽しいことなのか。くわえタバコのまま、父が見たら卒倒しそうなスタイルで演奏した。すこしづつ、心のリハビリが出来はじめた時、その店に父が来た。彼の演奏をきいた。そして、いままでのすべてを水に流し、抱き合った。 厳格で仕事一辺倒な父を持ち、恐いので子供時代ろくろく父親と会話しなかった私などは、こういうシーンにえらく弱い。 心のリハビリの障害は、取り払われた。あとは、のんびり下町のショパンになるのかと思いきや、さにあらず。 タイトルバックのウォークマンを聞きながら青い空にトランポリンで飛ぶシーンは、まさにその象徴。友人の結婚が決まった女性にプロポーズし、安定した未来が確約された結婚を「あなたは一人でも大丈夫、でも彼(ヘルフゴット)は、私がいなけりゃだめなのよ」と、もっともらしい理屈で彼女に破棄させて、見事ゴールイン。その奥さんの献身的な愛に支えられ自分のリサイタルを開く。拍手喝采の中に、世話になった人の顔、顔、顔。しかし、そこに父の姿はない。父の死によりすべてが精算され、新しい人生が始まるのだ。 まるで、リチャード・ドレイファスの陽のあたる教室の逆バージョンのようだね。

4.0