同級生が亡くなった。
突然の訃報。しかも、6月下旬。
何も知らずただただ驚いた。
彼の声だか、このままの自分ではいかんと、広瀬川河畔をランニングすることに。広瀬川河畔をいつもチャリで走っていたのに、その概念を外し、川べりを走ろうと思った。
写真撮ったりと、立ち止まる口実を作りつつのランニングだが、見える世界が変わるのだ。
いつも見ていた風景とは違う。
甲子園もアスリートたちの祭典も、みんな「高みの景色は登ったものしか知り得ない境地だ。」というが、下の景色を見ていたからこそ、その高みの景色がわかるのだろう。最近スポーツ界でのパワハラ、モラハラ事件がバラエティのネタを振りまいているが、あの当事者たちはアスリートではなかったのか?ひたすら上を見つめていた頃はなかったのか?現在なっている地位にあぐらをかき、あの頃の気分を忘れてしまっているから、あんなことができるのではないだろうか。
いつも通る高い場所から降りて見ると感じることもある。
走った後の爽快感と汗だくの体を冷やすプシュっと献杯は、いろいろなことを思わせた。(そんな走ってないだろう!)
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