映画館の仕事は過酷ではないが、窓のないフロアだった。
そのため雷鳴轟く雨の日など以外は、外がどんな天候なのか知るよしもない。
その仕事から解かれた今年、酷暑で自宅に居て、プーがエアコンつけて家で涼しくしているのは、どうも調子が悪い。
高校球児の様な環境で、高校球児に憧れた中学時代の夏休みのように高校野球を見ることができた。と、いっても、微妙に忙しかったので、全てを見ていたわけではないが…。

昔(僕らの時代30数年前)は、商業、工業、農業、農林高校などは、生徒を集めている私学の学校に次ぐ一大勢力だった。
いつしか高校野球は全国規模簿の広告だと思う私学が優秀選手をスカウト合戦して、今や県立高校の出る幕がない高校野球になってしまった。その現状をボランティア活動が評価されたとかで「21世紀枠」で公立高校が出場出来たりしているが、まさに技術格差は甚だしい。
その中、今回、金足農業の快進撃は、気持ちいい。
どのくらいと言われれば、かの猛暑をかき消す程の爽やかな風が巻き起こった。
気持ちいいほどの速球勝負。と、見せかけて、緩い球で打者を翻弄する。
スピードボールが得意技なのに、かわすピッチングも絶妙。
さらに高めの釣り球で、クルクルバットが回り、気持ちよく三振を取っていった。

そんな楽しかった甲子園の決勝戦の終わりを告げるサイレンが鳴り終わった。そして、まもなく電話がなった。大学先輩だった。

「Aが死んだって。俺も昨日聞いたけど、6月の末に亡くなったって。俺は、前から入院してたの知ってたけど、状況をちゃんと知らなくて。少し前に快方に向かったから退院するんだと聞いたけど、その翌日に亡くなったらしいんだ。」
Aとは、僕は幼稚園、小学校、中学校、大学(ゼミで一緒)。6歳位から顔は知っていたけど、クラスが離れていたりで、お互い顔は知ってはいたが、関わることが少なかった。
大学で偶然同じゼミになり、僕が馬鹿話を始めると、「で、それをどーする?」と、真面目に舵を切ってくれて、当時のインゼミもうまく切り抜けられたので、僕的彼は「調整王」だった。

大学卒業後、彼と会うことも無くなったが、卒業10年目だからとゼミのOB会を作る時も協力してくれて、以後年賀状を交わしつつ、仙台・青葉まつりで運営側の僕と若い社員を激励しつつ祭連に帯同する彼と、一瞬だが毎年、声を掛け合った。彼も汗を拭きつつ「おお、みずとも、元気か!」と手を振ってくれていた。
「じゃぁ、今年の仙台・青葉まつりで会った?のが最後かな」と言うと、先輩は、
「それは昨年だろう。今年は、入院してたから」と
バドミントンの桃田のネットにぶつけて落とす「ヘアピン」の如く、あっという間に僕の記憶を打ち砕いた。あ、無駄な話。戻そう。

ラジオや講演でも僕の同級生と言えば、トム・クルーズと、西多賀中のマジ同級生の岩井俊二君がいるが、トムは骨折しながらミッションをこなし、岩井くんも新作映画のロケを地元宮城で撮影していた。同級生らがすぐ横で頑張っていて、「僕らもこれからじゃん!」と思ったタイミングなのに、Aの死は「死」を身近に感じる年齢なのだと痛感させられた。
そこで、今日はウクレレ教室に行くのをやめて、広瀬川を走ることにした。
会社で出ていた駅伝大会の時以来の17年ぶりだ。
思った以上に体、いやいや、呼吸が持たず、3.2kmを写真撮ったり川の流れを感じつつ、35分をかけて走り歩いた。こんな距離なのに大変大変。

FullSizeRender

以前は整備された遊歩道を走ったが、今日は、階段を降りて河原を走ることにした。
いつもチャリで見ている風景と違い、川が近い。近いだけじゃなく、でかい。
夕焼けが迫ってきて、いつもと見え方が雄大だ。
コンビニ寄って、慌てて酒を買う。
献杯をしようと夕陽が綺麗だった場所に戻る。
プシュ!と缶を開け、献杯する。
「安らかに。そして、君の分まで生きるとは言わないけど、僕も頑張る…」と思ったところで、止められた。
誰に?って、わからない。
「いいから、自分を生きろよ」そんな言葉で諭されたようだ。
再度、美しい夕焼けに献杯して、連日高校野球を見まくっていた自分に恥じた。
そういう年齢になったのだ。
人ごとでなく、ますます自分ごとにしなければ。そう思った。

コンビニでは、もう秋味月売られてていた。もう、秋なのね。ふぅ〜。
IMG_3698