今年は、明治維新から150年と盛り上がっているところもあるが、東日本では「戊辰戦争から150年」と呼び、そんなに浮かれている場合ではないのよという気運もある。
僕ら仙台市内の小学校出身者は、修学旅行で会津へ行き、白虎隊の悲劇を聞き、なぜか白虎杖を購入して帰ってきて、中学の歴史では幕末の動乱の中、「ああ、白虎隊だ!」と関連付けてお終いという歴史観で育っていく。大河ドラマでも西郷、大久保を中心に全て描かれ、坂本、桂なども人気俳優が演じるから、彼らが全ていい人で良きことをやってるように見えてくる。
そこで、今年春にはその幕開けとなった鳥羽伏見の戦い勃発地を訪れ、「なぜ、絶大だった徳川幕府が、オセロゲームのようにパタパタと駒の色が変わるようになったのか」を見に行ってきた。

今回は、江戸城無血開城後に起こった、凄まじい戦いがあった上野に行ってみた。
お目当ては、彰義隊のお墓だ。
まずは何度も上野に来ているがここははじめて、上野東照宮。
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東照宮と言う割にはちいさいなと思いつつ、鳥居をくぐり進むとキラキラしていて豪華!
え、ここを見事に復元?!と思ったら、1627年に創建され、幕末の上野戦争でいろいろな者が焼失したにも関わらず、ここは被災しなかったそう。しかも大東亜戦争の東京空襲でも戦火を免れた。東照宮、おそるべし。
いつしか新しい日本作りという思いを忘れ、徳川憎しに舵を切った新政府軍がどさくさに紛れこの宮を焼かなかったのはキセキだなぁと思った。
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上野東照宮を出ると左手に上野動物園があるが、その手前に売店が。「上野名物パンダそうめん」。まさか白黒麺なのかと思ったが、2枚のキュウリが垂れ目をつくり、サクランボとナルトで鼻と口を模したパンダ顔らしき麺なんだそうだ。パンダとなればなんでも商品になる、これもまた恐るべし。

上野観音、そしてバゴダに立ち寄る。パゴダという言葉を以前は知らなかったが、出張でミャンマーを訪れた時、あちこちにあったバゴダ。仏塔のことである。ということで、その出張の帰りに上野に寄ったら、案内図にパゴダの表記があって、驚いて訪れた場所でもある。なので、ここは2回目だ。そして、そこから見えた風景がこれ。
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ビル群の手前に鐘楼が見える。すると、どこからか、ケーナ?なんだろう?この響き。柔らかな音色が、激暑な空気の中流れてきて、ふぅわっというカンジになる。ここはどこの国?なんだろうと思えてくる。
あ、道端で、大道芸の人が演奏していた。音楽は、あそこからかぁ。

この付近だろうとキョロキョロしていると案内図を発見。
なんだ上野の森の美術館の先じゃんか、と、道を急ぐ。とにかく暑いので、木陰までは僕はダッシュ(早足)だl 東京の人は、全くこの陽射しをものともせず歩いているが、子どもの頃に虫眼鏡でアリンコに太陽を集めていじめたりしたことがあったけど、今さらその復讐をされているようにジリジリ暑い。恨まれることは、後からやってくる。まだ、子どもの諸君、やったことはいつか自分に返ってくるから、無体なイジメはしちゃいけないよ。(自戒を込めて)

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彰義隊の墓は、ひっそりあった。
指揮官・西郷の采配に「生ぬるい!」と、最新砲を乱射させ容赦ない殺戮で上野戦争を1日で終らせた大村益二郎。新政府軍の中でもドン引く殺戮だった。今の大河ドラマ「西郷どん」的に言えば「海外列強と戦わねばならぬ今、日本人同士が争っている場合ではなか!」と西郷らは立ち上がったのではなかったか、多くの(国)民の為にと。
大雨の中、その露と消えた義をあきらかにすると戦った彰義隊。
新政府軍は、この後、同士もドン引くこの戦いを顧みるべきだった。しかし、それをしなかった。それは、この組織の体質を決めることだった。ひとつの事が終わったら、良かったことと悪かったことを確認しあい、反省することをすべきだった。幕府もアバウトだったが、”積年の恨み”を晴らしてやる的感覚からのスタートでは、冷静な判断は不可能である。そして、この自分がしてしまったことを顧みない体質は、なにか困ったら戦争へという短絡的な結論に集約し繰り返すことになった。さすがに今は、戦争するよとは言わないけれど、相変わらず”自分は悪くない”というロジックだけは脈々と為政者※には受け継がれている。挙げ句、為政者たちは身の潔白を自分で証明せず、「だったら証拠を出してみろ」と居直り強盗になってしまった。この慣習は、長い時間をかけて一般にも伝染して、身勝手で威張るくせにだらしないリーダーを生み出して、いや膿み出してしまった(この字の方が適切か)。TVは、毎日毎日、大学だの、協会だのの不祥事バラエティーだけで時間を潰している。聞かれても何も説明しない。謝罪と言っても何があったのかも言わない。頭を下げた真似すればいいよと、TVはそのタイムを計測して○○秒ですと報道。これでは、タイムで競う謝罪競技ではないか。うやむやが、平成の文化になってしまったようだ。
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暑くではなく、熱くなってしまった!汗
話を戻そう。
生き残った輪王寺宮をはじめほんの一握りの人は、新政府軍に捕まらぬよう上野の山を下り、長雨から川が氾濫して、腰や胸まで浸かるほどの水の深さの中を進み、転々と逃避行を続けた。一体、そこはどんな地形の場所だったのか興味を持っていたので、歩いて見たいと思っていたが、今は水攻めじゃなくて、陽攻めにあって熱中症になってしまいそうなので、いつかこのツアーをしようと諦めた。ある面、正解。

参拝が終わり、くるりと振り向くと衝撃が走った。
供養塔からくるりと振り返ると見えたものは、なんと、西郷隆盛像だ。
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あ、こんな近くにあったの知らなかったという衝撃ではなく、西郷隆盛のお尻がこちらを向いていたのだ。こともあろうに彰義隊を全滅ではなく、彰義隊に戦闘を止めさせ降伏させたいと思っていた西郷の銅像が、こちらにお尻を向けていたとは…。
もっとも、戊辰戦争の後、西郷は新政府とそりが合わず、後に西南戦争の首謀者として国家反逆の罪人扱いとなったはずが、10年後赦され、銅像となったので、本人の意思ではなかっただろうけど…。
うーん、歴史って難しい。


※文書変換にATOKを使っているが、「為政者」という言葉がATOKにはないらしい。これも由々しき問題で、これでは為政者が為政者だという認識も無くなってしまうのでは?と思う。つまり、いちいち分割して入力していた。汗