先日、ヤマキさんが「広瀬川と名取川の合流場所までバイクでズンズン行けるし、上流にはダムもあるんだよ」と教えてくれた。
「あ、大倉ダムね」と僕が言うと、「違うよ。その上流に仙台市が作った古いダムがあるんだよ。そして、水道博物館があって、多分ミズトモさん好きだと思うよ」とも言われた。
まぁ、広瀬川のしっぽを見つけられなかったので、だったら今度は、広瀬川のアタマを探してみましょうかと上流を目指してみた。ヤマキさん情報の青下ダムで検索かけて場所だけを確認した。もうちょっと下調べした方がいいけど、まぁ近いとこだからとこの気の抜けよう。
国道48号線を走り、熊ヶ根橋を過ぎたら右に入る。定義山の方に行かず、左に進むとあるのが水道記念館と青下ダムだ。
ダムを見るついでの水道記念館だったが、これが実に面白い。
のっけから、政宗公と川村孫兵衛の話。おおおと思って見ていると職員さんが寄ってきて「仙台は江戸時代の用水の技術がベースとなっています。さらに仙台出身の中島鋭治氏は『近代水道の父』の父と呼ばれています。土木における優秀な方には中島博士記念賞が与えられ…」と説明してくれた。
この中島氏は養賢堂出身者だと知らされ、さらに盛り上がる。
僕は太白区に住んでますから釜房ダムからの水ですね?と言うと、「青葉区は基本的に大倉から。太白区の方は釜房ですけど、八木山付近は、七ヶ宿の水を広域水道を買っているんです。」
ええっ、それじゃあ水の味って、違うんですか?と聞くと、「ほぼ同じにしています。強いて言うなら、七ヶ宿からくる水がちょっと硬水ですが、ほぼ変わりません。」だそう。面白い。
1923(大正12)年 仙台市水道給水開始に始まり、
1931(昭和 6)年 第一次拡張事業開始(青下ダム建設など)
1948(昭和23)年 第二次拡張事業開始(富田浄水場建設など)
1958(昭和33)年 第三次拡張事業開始(国見浄水場建設など)
1966(昭和41)年 第四次拡張事業開始(茂庭浄水場建設など)
1978(昭和53)年 第五次拡張事業開始(仙南仙塩広域水道からの受水関連施設の整備など)整備され、
1990(平成12)年 第五次拡張事業が完了したそう。
そーいえば、子どもの頃は水が足りない。水を大切にしましょう。水じゃなくて、うちわで涼を取ろうとか言っていたのに、いまや水不足なんてことばは聞くことが無くなったなぁと思った。それを意識させない水行政がしっかり行われていたわけだ。
ダム→浄水場→配水所→各家庭 と水が流れていくわけだけど、西から東へ傾斜している地形を利用して、ポンプなどの動力を使わず、全配水量の80%以上を自然流下で配水しているエコな水道だそうな。そうか、政宗公の四ッ谷用水という先人の知恵を継承した形なのだと理解した。
「人が生活するために必要なライフライン(電気、水、ガス、それに今は情報もかもですね)がありますが、江戸時代からあったものはなんですか?」と僕がまちあるきのガイドをするときする質問です。
答えは「水」。仙台は主だった城下町の下に川があるので、水が乏しかった。そこで生活用水を手にしようと作られたのが四ッ谷用水。などと説明していたのだが、その後の水道の歴史を全く知らなかった。もうちょっとライフラインの変遷なども知ることにしようっと。
老朽化していると言われる水道管。その交換費用が莫大で、どう対応するかが課題となっている。フランスでは、それを解消しようと民間に移管したら、料金が200倍に跳ね上がり、市民の怒りが爆発。また行政が実施することになったそうだ。ろくな審議もしないで、多数決でばかり決める今の政治家では、結局またそんた君の顔色見ながら、そだねーと決めちゃうのだろうから、そうはいかんよと僕らも無知じゃなく、考えて、そしてあなたの行動見てますよという態度を示さなきゃーね。
青下ダム旧管理事務所
水道博物館を出てすぐ出合うのがここ。川の水量調査や気象観測などを行っていたそうだが、デザインがおしゃれ。
数日前に付近で熊が出たとのことで、職員さんからは「お一人ですか・・・・」と不安がられ、貸してもらった熊よけの鈴。こういうの預けられると緊張感増すね。なぜか、ラジオ放送が大きな音で流されていたが、これも熊よけだったんだね。
記念碑。なぜか羊の頭のレリーフが。
青下第一ダム
広瀬川支流の青下川に作られた3つのダムのうち、一番下流にあるダム。主堰堤の堤高13.4m,堤長41.8m,副堰堤の堤高2.4m,堤長25.7m,青下橋の長さ43.6m,幅員1.8mで、満杯になると水が流れ落ちる重力式コンクリートダム。なので、放水口がない。観光放水もない。web上ではコンクリートに玉石がはめ込まれているため、水が当たると白い波が立ち、綺麗な白い水が流れている写真が掲載されているが、雨が少なく、こんな感じだった。雪解け水が多い春は、綺麗だよと言われた。
ダムの上を歩ける橋から反対側を見る。すっかり森。マイナスイオンがたっぷりと言いたいが、セミ!うるせ〜。
橋を渡った側から撮影。こっち側は水が下に流れていない。ここを流れると下にもうひとつのダムになっていた。
ダムの水は色濃く、深いんだろうなと創造できる。そして、こちら側だって結構高くてコワい。だから、こんな表情になるわけよん。
戻って高いところから見る青下第一ダム。
湖面の色が濃い。深いんだろうね。
遊歩道を大音響のラジオを聞きながら歩く。(何度も言うけど熊よけ)だから、僕も鈴をしっかり鳴らしながら進む。
熊問題さえなければ哲学の道。あ、ブヨだの蚊だのが寄ってくるのでそれを払って、鈴も鳴る。一石二鳥な展開。
着きました、青下第二ダム。湖面が近く感じる。え、いつの間に第一ダム終わったのかというと…。
写真下手ですいません。木の幹の隙間から白い水流れているのわかりますか?ここが第二ビルの際。重力式ダムだから、自然にここを伝って下に降ります。降りた右側が第一ダム。つまり、第一ダムと第二ダム繋がっているのです。段々畑ならぬダムダムダムなのです。
水道記念館に向けての帰り道。まるで、誰かが油絵で描いてるような風景。ここに鈴はちょっと違うなと思いつつ、気持ちいい緑のトンネル。
水道記念館の戻るとおさらい。
昭和のはじめの近郊図。青下ダムのデフォルメ感がすごいがわかり易い絵。連結する第一第二ダム、ちょっと上の第三と三つのダムがわかる。ちょっと下流にある川が大倉川。その遙か上に大倉ダムがのちに造られる。
さてさて、今回のお題は「広瀬川のしっぽを探せないなら、広瀬川の頭を探してみようか」だった。
これはダムを探しただけで、あたまに到達してない。
ある人は、青下ダムの下の川と大倉川の合流点からだといい、ある人はもっと上とグーグルマップに載っていたという。僕は、グーグルマップとウィキペディアは、時に嘘を言うから信用出来ないと思っていたが、その話を聞いた人もグーグルマップの信用は慎重にしないといけないといい、グーグルマップ懐疑派が2票となり、この議論は流れてしまった。笑
で、これもまた、眉唾半分で見なければいけないウィキペディアの「広瀬川」によると、
「宮城県仙台市青葉区作並の山形県境に位置する関山峠付近に源を発する。国道48号に沿う風倉沢と関山峠から流れる坂下沢が合流した地点が一級河川の上流端である。」そうである。
てっきり新川が広瀬川になるのだろうと思っていたら広瀬川は広瀬川で、新川は新川。そして合流するんだ。
水系をググっていたら「川の名前を調べる地図」というサイトを見つけた。https://river.longseller.org/
それによると「当サイトの情報は国土交通省国土政策局の国土国土数値情報(平成18年度~平成21年度)に基づいています。ただし、内容の正確性を保証するものではありません。」とあった。
ということを念頭に。
帰りに川の写真をと、車を止めた。ここいらホントに深いなぁ。奥に五重塔が見える。
大倉ダムに到着。あんなに暑かったのに、今も暑いけどおだやか〜を感じる風景。んん、でも水大分少なくない?!
なんか、今日もお疲れさまね、と太陽に言われているような風景。
定義の道を降りて来て、青下川を橋から眺める。さぁ、僕も帰ろう〜と余裕をカマしたが、途中渋滞に巻き込まれる。まぁ、帰る時間だけどなんだなんだと思ったら、火星が大きく見えるからと天文台に向かう車渋滞に巻き込まれたようだ。想定外は良くあることだ。大切なものは目に見えないからね。
「あ、大倉ダムね」と僕が言うと、「違うよ。その上流に仙台市が作った古いダムがあるんだよ。そして、水道博物館があって、多分ミズトモさん好きだと思うよ」とも言われた。
まぁ、広瀬川のしっぽを見つけられなかったので、だったら今度は、広瀬川のアタマを探してみましょうかと上流を目指してみた。ヤマキさん情報の青下ダムで検索かけて場所だけを確認した。もうちょっと下調べした方がいいけど、まぁ近いとこだからとこの気の抜けよう。
国道48号線を走り、熊ヶ根橋を過ぎたら右に入る。定義山の方に行かず、左に進むとあるのが水道記念館と青下ダムだ。
ダムを見るついでの水道記念館だったが、これが実に面白い。
のっけから、政宗公と川村孫兵衛の話。おおおと思って見ていると職員さんが寄ってきて「仙台は江戸時代の用水の技術がベースとなっています。さらに仙台出身の中島鋭治氏は『近代水道の父』の父と呼ばれています。土木における優秀な方には中島博士記念賞が与えられ…」と説明してくれた。
この中島氏は養賢堂出身者だと知らされ、さらに盛り上がる。
僕は太白区に住んでますから釜房ダムからの水ですね?と言うと、「青葉区は基本的に大倉から。太白区の方は釜房ですけど、八木山付近は、七ヶ宿の水を広域水道を買っているんです。」
ええっ、それじゃあ水の味って、違うんですか?と聞くと、「ほぼ同じにしています。強いて言うなら、七ヶ宿からくる水がちょっと硬水ですが、ほぼ変わりません。」だそう。面白い。
1923(大正12)年 仙台市水道給水開始に始まり、
1931(昭和 6)年 第一次拡張事業開始(青下ダム建設など)
1948(昭和23)年 第二次拡張事業開始(富田浄水場建設など)
1958(昭和33)年 第三次拡張事業開始(国見浄水場建設など)
1966(昭和41)年 第四次拡張事業開始(茂庭浄水場建設など)
1978(昭和53)年 第五次拡張事業開始(仙南仙塩広域水道からの受水関連施設の整備など)整備され、
1990(平成12)年 第五次拡張事業が完了したそう。
そーいえば、子どもの頃は水が足りない。水を大切にしましょう。水じゃなくて、うちわで涼を取ろうとか言っていたのに、いまや水不足なんてことばは聞くことが無くなったなぁと思った。それを意識させない水行政がしっかり行われていたわけだ。
ダム→浄水場→配水所→各家庭 と水が流れていくわけだけど、西から東へ傾斜している地形を利用して、ポンプなどの動力を使わず、全配水量の80%以上を自然流下で配水しているエコな水道だそうな。そうか、政宗公の四ッ谷用水という先人の知恵を継承した形なのだと理解した。
「人が生活するために必要なライフライン(電気、水、ガス、それに今は情報もかもですね)がありますが、江戸時代からあったものはなんですか?」と僕がまちあるきのガイドをするときする質問です。
答えは「水」。仙台は主だった城下町の下に川があるので、水が乏しかった。そこで生活用水を手にしようと作られたのが四ッ谷用水。などと説明していたのだが、その後の水道の歴史を全く知らなかった。もうちょっとライフラインの変遷なども知ることにしようっと。
老朽化していると言われる水道管。その交換費用が莫大で、どう対応するかが課題となっている。フランスでは、それを解消しようと民間に移管したら、料金が200倍に跳ね上がり、市民の怒りが爆発。また行政が実施することになったそうだ。ろくな審議もしないで、多数決でばかり決める今の政治家では、結局またそんた君の顔色見ながら、そだねーと決めちゃうのだろうから、そうはいかんよと僕らも無知じゃなく、考えて、そしてあなたの行動見てますよという態度を示さなきゃーね。
青下ダム旧管理事務所
水道博物館を出てすぐ出合うのがここ。川の水量調査や気象観測などを行っていたそうだが、デザインがおしゃれ。
数日前に付近で熊が出たとのことで、職員さんからは「お一人ですか・・・・」と不安がられ、貸してもらった熊よけの鈴。こういうの預けられると緊張感増すね。なぜか、ラジオ放送が大きな音で流されていたが、これも熊よけだったんだね。
記念碑。なぜか羊の頭のレリーフが。
青下第一ダム
広瀬川支流の青下川に作られた3つのダムのうち、一番下流にあるダム。主堰堤の堤高13.4m,堤長41.8m,副堰堤の堤高2.4m,堤長25.7m,青下橋の長さ43.6m,幅員1.8mで、満杯になると水が流れ落ちる重力式コンクリートダム。なので、放水口がない。観光放水もない。web上ではコンクリートに玉石がはめ込まれているため、水が当たると白い波が立ち、綺麗な白い水が流れている写真が掲載されているが、雨が少なく、こんな感じだった。雪解け水が多い春は、綺麗だよと言われた。
ダムの上を歩ける橋から反対側を見る。すっかり森。マイナスイオンがたっぷりと言いたいが、セミ!うるせ〜。
橋を渡った側から撮影。こっち側は水が下に流れていない。ここを流れると下にもうひとつのダムになっていた。
ダムの水は色濃く、深いんだろうなと創造できる。そして、こちら側だって結構高くてコワい。だから、こんな表情になるわけよん。
戻って高いところから見る青下第一ダム。
湖面の色が濃い。深いんだろうね。
遊歩道を大音響のラジオを聞きながら歩く。(何度も言うけど熊よけ)だから、僕も鈴をしっかり鳴らしながら進む。
熊問題さえなければ哲学の道。あ、ブヨだの蚊だのが寄ってくるのでそれを払って、鈴も鳴る。一石二鳥な展開。
着きました、青下第二ダム。湖面が近く感じる。え、いつの間に第一ダム終わったのかというと…。
写真下手ですいません。木の幹の隙間から白い水流れているのわかりますか?ここが第二ビルの際。重力式ダムだから、自然にここを伝って下に降ります。降りた右側が第一ダム。つまり、第一ダムと第二ダム繋がっているのです。段々畑ならぬダムダムダムなのです。
水道記念館に向けての帰り道。まるで、誰かが油絵で描いてるような風景。ここに鈴はちょっと違うなと思いつつ、気持ちいい緑のトンネル。
水道記念館の戻るとおさらい。
昭和のはじめの近郊図。青下ダムのデフォルメ感がすごいがわかり易い絵。連結する第一第二ダム、ちょっと上の第三と三つのダムがわかる。ちょっと下流にある川が大倉川。その遙か上に大倉ダムがのちに造られる。
今日のご褒美に仙台の水道水ボトルドウォーター「ごくり きらり せんだい」を頂く。汗だくだったので、味わうことなく飲んじゃった。家に帰ってこのボトルに水道水入れて冷やして飲めば、同じものかと思いつつも、猛暑にうれしいプレゼント。そして、その横にあるのが、
ダムカード。大した苦労もせずに来てみたら、溜まった水が自分で落ちる重力式ダムというエコな作りのダムで、人口が増えていく未来を想定し、水不足にならないようにと準備がなされていることに驚いた水道環境。しかも、政宗公の知恵を引き継ぎ継承している配置だとわかってますます嬉しい。その仙台の第1のダムのダムカードが、人生初のダムカードになった。わーい!
初のアップルペンシルで落書きしてみた。うーん、高畑充希のように上手くは描けないなぁ。大倉ダムを入れたくてこんな小さい地図になっちゃった。でもこのくらいの距離感があることがわかるでしょうし、貯水量の違いがすごくわかります。
さてさて、今回のお題は「広瀬川のしっぽを探せないなら、広瀬川の頭を探してみようか」だった。
これはダムを探しただけで、あたまに到達してない。
ある人は、青下ダムの下の川と大倉川の合流点からだといい、ある人はもっと上とグーグルマップに載っていたという。僕は、グーグルマップとウィキペディアは、時に嘘を言うから信用出来ないと思っていたが、その話を聞いた人もグーグルマップの信用は慎重にしないといけないといい、グーグルマップ懐疑派が2票となり、この議論は流れてしまった。笑
で、これもまた、眉唾半分で見なければいけないウィキペディアの「広瀬川」によると、
「宮城県仙台市青葉区作並の山形県境に位置する関山峠付近に源を発する。国道48号に沿う風倉沢と関山峠から流れる坂下沢が合流した地点が一級河川の上流端である。」そうである。
てっきり新川が広瀬川になるのだろうと思っていたら広瀬川は広瀬川で、新川は新川。そして合流するんだ。
水系をググっていたら「川の名前を調べる地図」というサイトを見つけた。https://river.longseller.org/
それによると「当サイトの情報は国土交通省国土政策局の国土国土数値情報(平成18年度~平成21年度)に基づいています。ただし、内容の正確性を保証するものではありません。」とあった。
ということを念頭に。
名取川水系広瀬川と記載がある一番上は国道48号線側の宮城県と山形県の県境近くとなっている。その広瀬川に新川川が注ぎ込み、青下川や大倉川も加わり巨大になっていく。じゃあ、名取川水系は全体どうなっているんだ?!と思って見てみるとこうなる。
川の系図というか、これ見てると動物が進化を続けて今に至る進化の模型図を見ているようだ。自然は全て繋がっているんだなとしみじみ感じる。また、全ての川のスタートが県境の際に近いところ。つまり、県境は山のてっぺんを結んで作られているから、お行儀よく宮城県側に流れていくのがわかる。本来はこの際を歩くことで分水嶺に出逢うんだけど、堺田は実に楽な分水嶺見学だった。
以上2点の地図の出展は「川の名前を調べる地図」https://river.longseller.org/ から
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折角ここまで来たのだから、三角あぶらげでも食べるかと定義山に向かう。
ま、余裕のヨッちゃんだよと、吉岡里帆のマルコよろしく、定義山に向かったが、結構あるのよね、この道。途中道路に野生の猿がゾロゾロ歩いていてビックリ。そして着いた定義山。参拝は四時半までに済ませてくださいと書いてある。参拝もできないし、お店もすでに全部閉まっている。4時33分だよ、早くない!と参拝どころか買い物の惨敗状態だ。
そういえば広告代理店時代、毎月一日には、副社長が参拝するからと運転手してたっけなぁ〜とよく来ていたことを思い出す。帰りに川の写真をと、車を止めた。ここいらホントに深いなぁ。奥に五重塔が見える。
大倉ダムに到着。あんなに暑かったのに、今も暑いけどおだやか〜を感じる風景。んん、でも水大分少なくない?!
なんか、今日もお疲れさまね、と太陽に言われているような風景。
定義の道を降りて来て、青下川を橋から眺める。さぁ、僕も帰ろう〜と余裕をカマしたが、途中渋滞に巻き込まれる。まぁ、帰る時間だけどなんだなんだと思ったら、火星が大きく見えるからと天文台に向かう車渋滞に巻き込まれたようだ。想定外は良くあることだ。大切なものは目に見えないからね。
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